12月の県内語り部プロジェクトは、「SAY’S東松島」山縣嘉恵さん、「南三陸ホテル観洋」伊藤俊さんにお越しいただきました。
●第8回 SAY’S東松島 山縣嘉恵さん
震災前、結婚を機に内陸から野蒜に越した山縣さんは、避難のため野蒜小学校体育館付近にいたところ、津波が迫ってきたことに気づき、ぎりぎりのところで校舎に逃れ助かりました。「助かったからよかったではなく、この反省を伝えたい」という想いでお話しされました。
1960年のチリ地震では地震から津波まで約22時間かかったことから、「津波が来るのは時間がかかる」という先入観があったことを明かし、「津波から逃げて助かるまでの約70分間」にとった自身の行動と、その反省から得た教訓を写真とともに、具体的にご紹介。また、学校現場にて継続されている防災教育にも触れられ、教員以外と顔の見える関係を築く大切さ、そしてそのために行政と協働できる体制の重要性をお話しいただきました。
参加者からは「次の休日に、家族で家から避難場所までルート確認、訓練をしたい」「津波のない地域に住んでいるが、自分の地域での災害からはどう避難するか家族と考えたい」という声が寄せられました。
●第9回 南三陸ホテル観洋 伊藤俊さん
南三陸ホテル観洋は、もともと指定の避難所ではありませんでしたが、宿泊客・地域の方・従業員とともに屋上に逃れ、幸い被害を受けていない部屋を活用し、避難所となりました。
通常の体育館等の避難所とは異なり、それぞれ個室があたえられコミュニケーションを遮断することができる環境で、朝礼や定期的な行事などの工夫がもとめられる一方で、当時まだ小さかった自身の娘さんのおむつなどが不足したことから、「命を守る行動の後の、守り続けることも大切」と語りました。
また、伊藤さんの幼少期には、宮城県沖を経験していたはずなのに教訓が伝わっていなかったことや、2018年大阪北部地震での被害を例にとり、震災の教訓を語りついでほしいという想いから「誰もが語り部になってほしい」というメッセージを届けられました。
来年1月は、1/16(日)に「閖上の記憶」丹野祐子さん、1/30(日)には「震災遺構仙台市立荒浜小学校」髙山智行さんに登壇いただきます。詳細は県内語り部プロジェクト次回以降のお知らせからご覧くださいませ!