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あの時プロジェクトin能登

2月末から3月にかけて、能登半島にお邪魔してきました。道路事情はかなり改善しており、珠洲市は電気は来たものの水道はまだ、という状況でした。

清掃のお手伝い

珠洲市の鵜飼漁港は津波の大きな被害を受けており、マンホールが路面から突出しています。このマンホールのすぐ近くで2か月間、黙々と再建に向けて作業をされていた場所で、現地で出会った若者ボランティアと一緒に側溝清掃をお手伝いしてきました。

鵜飼漁港想定津波高7.8m
能登地震マンホール異常
側溝清掃

途中からは、住民さんが借りてこられた重機と、重機オペレートのボランティアがうまくマッチし、一気に作業が進みました。

あの時プロジェクトin能登 聞き取り開始

1月に布団や缶詰をお持ちした珠洲市の集会所や、住民さんのご紹介で、1月1日の様子を聞かせていただくことが出来ました。

石巻市南浜での「あの時プロジェクト」動画をタブレットでお見せして地図を準備すると、避難行動の記録や聞き取りの大切さや、こちらの意図をすぐにご理解いただけて、本当にありがたいです。

避難体験の聞き取り

南浜では100人以上の避難行動から動画や展示を制作しましたが、能登の滞在中に15名以上の方々がお話を聞かせてくださいました。
「そんなことをやってる場合なのか(被災者には”支援”が必要じゃないのか)」というお叱りもいただきそうですが、幸い、1月に物資をお持ちしたことを覚えてくださっており、仮設住宅の入居が始まるタイミングで避難所に残られていた方々にお話を聞いたことで「気晴らしになった」と仰ってくださいました。

犠牲が一人も出なかった地区で、「もう、私はすぐに逃げて。先に行くわよ、って、ねえ?(と隣の方に話しかける)」、「この人は車より先に着いていて」、「生きてりゃそれでいいのよ」と明るく話して下さる様子から、地域の力を感じました。

なんと、他の住民さんの出発地点や避難ルートのマップ記入を手伝ってくださる方も。この地区では、地域の住民さんと神社への初詣客、約150名が一人の犠牲者も出さずに、複数のルートから高台にすぐ避難されており、東北の語り部さんたちが願いを込めて話していらっしゃる「(災害があっても)助かったね、と笑い合える未来/希望」がここにある、と感じました。

あの時プロジェクトin能登 可視化

現時点では、正確な津波到達時間や避難時間を把握するのが困難なため動画にするのは難しいのですが、せっかく聞かせていただいた貴重な情報は東日本大震災を伝承する上でも大きな学びとなるもので、早速可視化に取り組みました。

あの時プロジェクトin能登 地震直後の避難行動

「東北がすごかったから(すぐ逃げた)」、「去年も地震があったたから」、「東北の後、津波の避難訓練をやるようになったから」、「揺れている時から、どう逃げよう、と考えていた」と、東日本大震災や過去の地震の記憶が、見事に即時の避難行動を生み出していました。

東日本大震災の教訓が活きていることを確信させられた一方で、「(津波想定13.5mにもかかわらず)せいぜい、来ても1~2mぐらいだと思っていた」、「逃げ遅れたのか、骨折した人もいる」、「防災無線?私はぜんぜん気づかなかった」、などの(石巻での「あの時プロジェクト」で伺った話と全く同じ)体験談を伺うと、この地域での迅速な避難にも危うさがあったことがわかります。

この度の能登訪問に関してお世話になった皆さまに心より御礼申し上げます。

南海トラフ地震のような巨大災害に備えて、能登の経験も踏まえて伝承してゆくため、MEET門脇では能登半島地震に関する展示を追加してゆきます。

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