内海橋を湊側に渡り右折、左前方に神社が見えます。べニア板で応急修理された社殿が痛々しい。箱崎八幡神社またの名を延喜式内社拝幣志神社です。と言われてもピンときませんが10世紀からあったそうです。昔は背後の石山(五松山)に鎮座していたとのこと。
なぜか北向きでいわくありげですが、地元の氏子さんによると「現在地に降りた当時、山が川まで迫っていた地形上、この向きにしかできなかっただけ」とか。現町名「八幡町」の由来になりました。
神社名から誰しも「八幡太郎義家」を思い浮かべるのではないでしょうか。名前の通り弓矢の神様だそうで、戦時中は出征兵士の武運長久を祈る家族のお参りが絶えなかった神社です。実はこの願掛け、8カ所の神社を巡るのが正式なのですが(八八幡掛け・やはちまんがけという)、付近の氏子、旧家には分祀した枝社があってそこをまわって祈願を済ましたそうです。そうしなくてはならない世事の事情もあったようですが、いわゆる即席または省略型の願掛けです。これはこの神社に限らないことでした。
石巻では最も有名な八幡様といわれています。お祭りは春と秋です。もう一つ、境内にある特大の「竜神碑」(水神、推定自重6.5㌧)が目を引きます。これは北上川の舟運が盛んだったころ、江戸期、上流岩手をはじめ沿川の各地から石巻に米を集めた平田舟の船頭衆が寄進したものだそうです。