日本初の「鉄道馬車」運行は明治15年(1882年)だそうです。2頭の馬が客車を曳き新橋─日本橋間(東京)を走りました。これが石巻にもあったのです。同43年(1910年)に計画され大正元年(1912年)敷設工事、運行開始が同4年(1915年)という記録が残っています。
昭和初期、その運行の様子が「石巻かほく」の連載小説「北上川有情」(作草川俊、絵浅井元義、昭和56年10月30日付)に活写されています。
──(略)湊から隣町の渡波まで、朝6時から夜9時まで馬車鉄道が走っていた。走行距離は1里半(6㌔)ほど、半時間ぐらいで終点に到着した。町の人々は馬車鉄道のことを馬鉄と略称した。馬鉄はトロッコ線路の上に、向かい合って腰かける10人乗りの客車をのせ、馬一頭で曳いて走るのである。もちろん客車は1輌だけでマッチ箱そっくりの形をしていた──
馭者がラッパを吹き鳴らし1時間に2本走ったそうです。運賃は全区間が10銭、1区間6銭。停留所は湊田町(現湊町1丁目)、大門崎、伊原津、渡波入口の4か所。「馬鉄」は乗合自動車の普及、国鉄の延伸で昭和14年(1939年)姿を消しました。一般道路に軌道を敷いた「馬鉄」。さしずめ昭和でいえば路面電車でした。ただ、運行は馬の機嫌しだいの日もあったようです。