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続・まちあるき帖 「建て前(上棟式)」

私たちのこと

歩けば必ず一つや二つの話題に出あうのが石巻。
それはほんの一断面に過ぎないが、石巻の今と昔をあらためて感じてもらえるよすがにでもなればと、また歩きます。

建て前(上棟式)

あれから2年あまり。つい、目は新たに建築中の家に。やっと災害復興住宅が完成しだしたが、なおも仮設住宅暮らしを余儀なくされる人は多い。そんな状況下で不謹慎とは思うが、真新しい柱の骨組みに眼を射られている。

今、家を立てられるのは限られた人だろうが、気づいたことが一つある。普通なら「建て前」の時、屋根の上に斜めに交差して立てる矢車や赤と黄の吹き流しがないのだ。そしてお祝いの餅まきの用意もありそうにない。復興がまだ遠い今、建て主の気兼ねの現れなのだろうか。

古来、家を建てることは厄災を招くという考え方があって、それを避けるため建て前(散餅銭の儀)で餅や小銭をまきその厄災を分散、持ち帰ってもらったのだという。平安時代から始まり江戸時代には庶民層まで広まったとのこと。家を「建てる」ことは「富がある」ということで、その裏には建てられない者の嫉妬を回避する意味も潜んでいたらしい。いわゆる生活の知恵なのだろう。

子供のころ、どこで知ったか「建て前」があるといつしか人が集まり、板だけを張った屋根からまかれる餅(南東、南西、北西、北東の方向にまくから四方餅という)、硬貨(5円、10円、50円、100円もあった)入りのおひねりを大人も子供も奪い合ったもの。その日は大安か友引の日。貴重な小遣いだった。

全国各地で餅のほかお菓子をまいたり、あとで酒と交換する木札をまいたりといろいろあるようだが近年、この「建て前」の風習が当地方でも減少傾向にあったことは確か。その原因はというと‶家は建てるではなく買うものになった″ことが大きい。つまり大工棟梁に建築一切を依頼する「注文住宅」ではなくなり、ハウスメーカーが建てて売り出す「建売り住宅」が主流の時代になったのだ。商業主義の前には餅代などは余計な経費か。震災を契機にまた一つの風習が消滅へ拍車がかかるか、と思うと寂しい。

【写説】この2棟の家も餅まきはしないそうです(東松島、石巻で)