「雨にも負けず―」はご存知ですよね。宮沢賢治のこの詩が明治(29年)の三陸大津波、大正(12年)の関東大震災、昭和(8年)の大津波の3大災害を背景にしていると聞きました。ありえません。なぜなら、この詩の執筆は昭和6年11月3日で昭和の大津波はまだ起きていませんから。
どこから出た話かというと一昨年(平成23年)4月、ワシントン「ナショナル大聖堂」で行われた東日本大震災追悼会でその英訳朗読があったそうで、その雰囲気に尾ひれがついた話とか。
実はこの詩にはモデルがいて、いわれなき差別を受けたキリスト信者斎藤宗次郎という人だそうです。仕返しするでもなく、我慢するでもなく、イエスの名のもと苦難を受けるにふさわしいわが身と悟った人だったそうです。
賢治は明治45年5月、盛岡中学4年17歳の時、修学旅行で石巻に来ました。日和山から初めて海を見ました。その感動を「我ら等しく丘に立ち」という詩に残しています。その碑が茶店屋さんの裏手斜面にあります。石巻の地名が「イギリス海岸」「ビジテリアン祭」という作品に出ています。
今でこそ「雨にも負けず―」「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」「風の又三郎」など多くの作品で親しまれる彼ですが、生前は認められていません。昭和8年死去、享年38歳でした。