本町が中心の漁船漁業と水産加工が盛んになり街化が進めば商店が張り付く。ここが南町、荒町だ。通りはなお南東に向かうのでこの地区はさらに川から離れる。華やかさはなくても湊は湊なりに形作られた商店街と言えた。新町名では湊町2丁目あたり。
最寄り商品を扱う商店街と言ってもよく、食料品はもちろん米屋さん、肉屋、魚屋、酒屋、和菓子、味噌醤油、塩専売、衣料、時計、電気、自転車、下駄、風呂、床屋、本屋、ペンキ、パチンコ店もあって、それなりの街だった。そして幼稚園、小学校、日赤病院、銀行、郵便局、寺院、ハリストス教会があって自己完結していた。任意団体ながら商店会が組織され売り出しを実施していたことを知る人も少ないだろう。
漁業会社、加工場の新漁港移転でここも衰退を余儀なくされ、再活性策が寝られたりしたものの、決め手を欠いて置き去りにされかけた時、津波に見舞われたのだった。