カテゴリー:私たちのこと
2013.05.08
この町名はどこに行ってもある。元町、上町と言ったりもする。川の対岸門脇にもある。いずれ、居住的にも仕事的にも最初に栄えた地区なのだろう。街の喧騒が田町で緩衝される感じでやや川から離れ南東に開けた所が本町。新町名では湊町1丁目あたり。いわゆる「湊=魚」のイメージの地区。
戦後しばらく隆盛を極めた漁船漁業。多くの漁業会社(船主さんの自宅兼事務所)が軒を接していたもの。その名をあげれば十指にあまる。所有船の多くがトロールと巻き網船。近海はもとより北洋にスケソウダラを追って出漁し、水産加工練り製品の原料供給を担った。もちろん、時節になればサケ、カツオ、サンマほかを水揚げした。
魚市場はまだ川岸にあり加工場群が漁業会社を囲んでいた。工場に魚を運び込むオート三輪が行きかう中を、馬車も活躍した時代だった。加工場の軒から薪をたく煙、白い蒸気が立ちのぼり、あの芭蕉の‶かまどの煙たちつづけたり″という一節をほうふつとさせた。
それも昭和40年代中葉、新漁港が長浜にできて各社、加工場も引っ越しして街は一気にさびれた。そこに「漁業200カイリ規制」だった。石巻の漁業会社の勢いがそがれた。造船をはじめ関連業界にその影響は及び、津波が来る前からゴースト化していたのは確か。