北上川は石巻で太平洋にそそぐ間際、中瀬と呼ばれる中洲でその流れを分けます。日和山から一望するその風景は石巻の定番です。津波で中瀬の形がより鮮明になりました。なんかの形に似ていませんか。そう、飛行機翼の断面ですね。さらに注目してほしいのが右岸・門脇側の人工的な「ふくらみ」です。
北上の流れは中瀬の北端で左岸6、右岸4の比率に分けられます。6の水は当然、強い流れで左岸・湊側を下ります。4の水は中瀬際こそ渦を巻いて流れますが、右岸に寄るにしたがい流れは弱まり、そこに門脇側の「人工的ふくらみ」です。この‶容積″増大で流れはほとんど澱みに近くなります! 門脇側右岸は帆掛け船・千石船の船溜まり、荷の積み下ろしには最適な水域になったのです。江戸時代の絵図、絵馬に残る千石船の姿はみな門脇側に描かれています。
この分流を川村孫兵衛が考えたのだそうです。さすが伊達政宗がスカウトした土木の専門家です。「この事績の陰に西洋流の土木工学が匂う」と語るのはある歴史好きです。九州、中国地方はキリスト教が流布した地。彼の出身地長州もそのかぎりでなく「宣教師から知識を得るのは容易だったはず」というわけです。「戦国の気が濃い1620年代。野望おさまらない政宗はキリスト者の‶いいとこ取り″をして力をためていた」とも。
壮大なロマンです。「歴史は結果。それに向け各種資料を駆使し肉付け、検証すれば一つの小説のできあがりです」とのことです。ちなみに、中瀬に至る少し上流の袋谷地(水明地区)の蛇行も水勢を削ぐため孫兵衛がわざと曲げたそうです。対岸は稲井の石山、浸食の心配はありません。もっと上流、何か所かの蛇行理由も同じです。