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【開催報告】R7年度 第1回3.11トークセッション

3.11を学ぶ

8月17日(日)に、今年度1回目の「3.11トークセッション」を開催いたしました。

「3.11トークセッション」は、県内で伝承活動を行っている方々をゲストに招待し、県内各地の被災の実情や教訓に触れ学びを深めるとともに、伝承者の相互理解を深める機会を作り出すことを目的に、昨年度より開催しています。今年度も、宮城県による「R7年度 みやぎ地域復興支援助成金」のご支援を受けて、全5回の日程で開催できることとなりました。


第1回目となる今回は、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館にて取り組まれている「中高生語り部」をテーマに、3人のゲストにお越しいただきました。気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館では開館した2019年から、中高生が語り部として活動を続けており、地域にとって大きな力となっています。

今回ゲストにお越しいただいたのは、中高生語り部誕生のきっかけを作りだした元階上中学校長の菅原定志さん、中高生語り部の1期生で大学に進学した現在も防災活動に取り組む阿部蓮さん、語り部の活動を始めて2年目となる中学生の三浦瑠々さんの3名です。
語り部を始めたきっかけやこれまでの歩み、日頃工夫していることや取り組む中で感じる難しさなどをお聞きしながら、次の世代に引き継いでいく思いなどを語り合っていただきました。

1人目のゲスト、元気仙沼市立階上中学校長の菅原定志さんは、2017年に階上中学校へ赴任。その当時は学校として防災教育の方向性を再検討していたタイミングだったそうです。「震災伝承に取り組むべきでは」とアドバイスをもらったこともあったそうですが、赴任1年目はまだ中学生たちが地域の方々に震災当時のことを聞き取りできる状況ではなかったそうで、2年目に入ってからようやく聞き取りながら震災学習に取り組むことができたとのことです。
そして、気仙沼市に伝承館が開館した2019年。館内を見学した際に、生徒たちの学びの場として最適だと考え、初代館長に「ここで中学生たちが語り部に取り組むのはどうだろうか」と相談。そして、伝承館スタッフやけせんぬま伝承ネットワーク協力のもとで、中高生語り部を始めることができたとお話しされました。

ここでコーディネーターの藤間から、「2019年は震災伝承館がまだ少なく、先進的な事例もあまりありませんでした。その中でも、どうして中学生が語り部に取り組むための相談ができたんですか?」と質問。菅原先生からは、「教育者として一番に考えていたのは、生きて働くための力を身につけさせてあげたいということ。思考力や判断力、表現力などを身につけるということを、いろんな場面で考えられないだろうかと思っていた中で始めたのが、中高生語り部でした。」とお話しいただきました。また、中高生語り部は開始から7年が経ちましたが、ここまで続いた理由を、「震災を経験した人しか語れないと思ってしまうが、けせんぬま伝承ネットワークの皆さんは誰もそんなことを言わなかった。だから、今も続いているんだと思います。」ともお話しされました。

現在大学2年生の阿部蓮さんは、震災当時5歳。幼稚園からの帰り道に揺れを感じたそうです。
階上小学校時代から地域の総合防災訓練に参加していたことで防災に興味を持ち始め、中学校で菅原先生から語り部に取り組んでみないかと声をかけられたことが、この活動に関わるきっかけとなったとのことです。

語り部としてお話しされる際には、気仙沼向洋高校の出身者として、水産高校である学校の特徴なども交えながらお話をするそうです。また、具体的な数字を盛り込むことでより強く実感してもらう、一方的に話すのではなくクイズや問いを投げかけるなど、見学者自らが学びたいと思ってもらえるように工夫しているそうです。
大学に進学されてからも防災発信グループを立ち上げて活動をされています。大学で学ぶ「地域創生」や「地域」という視点を語り部活動に取り入れることができていると実感することもあるとのことです。
(阿部さんが起ち上げた団体はこちら アイラベクト

語り部を始めて2年目の三浦瑠々さんは、現在中学3年生。震災のときは0歳で記憶はないそうですが、お母さんと一緒にご飯を食べていたと、教えてもらったそうです。
中学1年生のころは震災伝承の活動に興味があったわけではないそうです。ですが、小学校の頃に何度か授業で伝承館を訪れ、そこで聞いた語り部の方の話がとても印象に残っているとのこと。それがきっかけにもなり、「自分でもそんな話ができたら」と思っていたところ、先生からの誘いもあり活動に取り組むことになったそうです。

「記憶がないため自分の経験を語り部に落とし込むことはできないんです。でも、杉之下地区の避難場所を訪問するなど、行ける場所には自分の足で訪れ、どんな景色があるのか、実際どんな高さなのかなどを見に行くようにしています。また、自分の感想をもったらそれも伝えたいと思いますし、自分の生きた言葉で伝えたいということを意識しています。」


トークセッションの後半には、活動を続けている中で見えてきた難しさについても質問しました。
菅原さんは、年々活動に参加する生徒は少なくなってきており、そしてメディアで取り上げられることも少なくなり、世の中の関心自体が薄れているといいます。それを、周囲の大人が支えていけるかどうかが、これから続けていくための課題だと考えていらっしゃるそうです。

阿部さん自身は「やめたいと思ったことはありません。自分たちが同世代に語り部を伝えることに、やりがいと楽しさがあります」といいます。しかし、菅原先生と同様に新たに参加する後輩が少なくなっている点を心配しているそうで、自分から関心を持って取り組んでもらうための大人のサポートが必要なのではないか、サポートする大人側がどのようなことを考えているのかを共有することも必要なのではないか、そう考えているそうです。

三浦さんもこれからも続けていきたいと考えているそうです。ですが、「自身の経験がないので、語りの内容を考えるうえでは難しさを感じた部分ではあります。私自身が、中学校で先生に声をかけてもらってから小学校で学んだことを思い出したりしました。そういう意味では一歩踏み出せない子もいるのかもしれないから、私から少し声をかけてみるということもできたら」と感じているそうです。また、話を聞いてくださる方々の反応であったり、感謝されたりすることが、とてもやりがいに繋がっているとのことです。

コーディネーターの藤間も、自身が活動する中で同じように感じていたそうで、うなずきや反応によってやりがいを得られたり、質問によって新たな気づきがあったり、語り部の活動には相互作用があると感じているそうです。自身も当時関東にいただめ直接の経験はないという難しさを感じながらも、見学に来る方々と同じ立ち位置で伝えられることがあるという思いで取り組んでいるとのこと。その点に非常に共感できると、強くうなずいていました。


最後に、「継続と未来」という視点で、コーディネーターから質問がされました。戦後80年となる今年は、多くのメディアでも戦争の話題が取り上げら注目を集めている点に触れながら、東日本大震災から80年が経過する2091年には、中高生語り部はどうなっていると思うか、どうなっていてほしいかと尋ねました。

菅原さんからは、「蓮君や三浦さんのように、彼らがやりたいように活動していく姿が次の子どもたちに繋がっていくんだろうし、学校を卒業したあとにも休日に戻って来て活動をする人もいる。そういった人が、一人でも二人でも生まれてくれたら嬉しいし、その姿を見てちょっとやってみようかなと思う生徒が増えたらいい。そのときに寄り添えたらいいなと思います。」と、メッセージをいただきました。

阿部さんは、「人が少なくなっても、防災のまち、防災に強いまちとして残ってほしい。気仙沼は縦のつながりや横のつながり、世代の距離感があまり感じられないのがメリットだと思っています。縦のつながりや横の繋がりを大切にしながらコミュニティづくりをしていけば、きっと80年後も続いていくんじゃないかと思います」とお話されました。

三浦さんは、「防災は何年たっても必要なものだし、日本は地震が多い国。そういう意味でも、自分自身が活動を続けて、繋いでいけられたらと思っています。自分自身が人前で発表するとは思ってもいなかったんですが、後輩たちにも長く続けてほしいなと思います。」

最後に、会場から「ライフステージや環境の変化の中で、語り部を続けられない方もいるが、その中でどうやったら続けていけると思いますか?」と質問がありました。
答えていただいた阿部さん自身は、大学に進学してから語り部の活動機会は減っているそうです。ですが、「気仙沼を離れたからといって語り部を離れたわけではないと思います。離れた場所でも話すことができたら、一生語り部だと思っています。」と、これから先の活動を見据えた言葉をいただきました。

ゲストのみなさま、お越しいただいたみなさま、ご参加いただきありがとうございました。


第2回3.11トークセッション「発災直後の対応・人とのつながり・継承される知恵」

日時:9月21日(日)13:30~14:30

登壇予定:みやぎ生活協同組合 機関運営部 中塩晴彦さん/みやぎ生活協同組合 地域代表理事 佐藤ひで子さん